海外「神風なしでも日本は元寇を防げたと思う?」→「無理」


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翻訳元




  1. スレ主

  2.  嵐で船が沈まなかった場合、モンゴル帝国は1274年に日本侵攻に成功していたと思う?
     モンゴルにとってどれくらいフェアな戦役になっただろうか?

     (if歴史フォーラムへの投稿です)





  3. 海外の反応

  4.  日本全土を征服できたとは思えないね。とはいえ日本内で同盟を作ることが出来れば別だが。

  5. 海外の反応

  6. >>2
     日本人は団結してモンゴルを粉砕すると思うぞ。

  7. 海外の反応

  8. >>3
     アジアの多くの部族はモンゴルに対して団結できる可能性があったが、実際はしていないよ。モンゴルは分断作戦が得意なんだ。分割して統治せよっていうのはまさにモンゴルの得意技さ。

  9. 海外の反応

  10. >>4
     その通り。日本がどうなったか興味深いね。

  11. 海外の反応

  12. >>3
     実際にそれは現実世界でモンゴルが直面した問題だな。モンゴルには日本の同盟者はいなかった。

  13. 海外の反応

  14.  日本の地理はかなり日本人に有利に働く。上陸拠点になる場所が少ないから、日本は防衛しやすく、例え拠点を奪われても再攻撃することが出来る。そして島は平原がほとんどない山岳地帯だから騎兵は不利。

     ある程度の軍隊を上陸させ、上陸地点を確保し、日本の反撃を退けたとしても、それからは日本人に有利なゲリラ戦を仕掛けられることになる。モンゴルは侵略して直ぐに敗北して退却を余儀なくされると思うよ。逃げるにしても船が残っていればの話だけどね。

     WW2のコロネット作戦について読んでみると良い。日本侵略がなぜ悪いアイデアなのか書かれているよ。戦争で重要なのは数ではなく地理と兵站なんだ。

  15. スレ主

  16. >>7
     もし台風ではなくそれで敗北していたとしたらチンギス・ハンの評判はどうなっていただろうね?

  17. 海外の反応

  18. >>8
     大して変わらないと思うよ。一般的なモンゴル人や征服された人に届くようなニュースじゃないからね。最終的に死ぬ人の数はそう変わらないだろう。
     現実世界でもモンゴルは軍隊を日本に上陸させているが最終的に敗北しているよ。

  19. 海外の反応

  20.  例えモンゴルが日本に足場を作ったとしても、直ぐに押し戻されるか、最初の拠点からそう進めないと思うよ。
     日本はかつてモンゴルが戦った国とは全然違う。島国だから大軍で敵を圧倒することが出来ないどころか、共通の敵を見つけて団結した日本人たちに数で圧倒されるよ。
     だから結局モンゴルの船は現実世界の神風みたいに破壊されるか、日本に奪われるだろうね。





  21. 海外の反応

  22. >>10
     確かモンゴルはインドネシアを侵略しようとして失敗したよな。

  23. 海外の反応

  24. >>10
     モンゴルの戦い方はそうじゃないだろ。彼らは分割して統治するのが得意。

  25. 海外の反応

  26.  そうなったらヨーロッパよりアジアの方が早く銃火器を作ったかもな。

  27. 海外の反応

  28.  申し訳ないけどモンゴルが長い戦争の果てに勝ったと思うぞ。
     鎌倉幕府の日本は戦国時代のようなものではない。皇室とその支持者はモンゴルに降参したがっていて、そこに将軍が介入したんだ。モンゴルが博多湾を占領したら、多くの人が思っているような日本の団結みたいなのは発生しない。宋がクビライの手に落ちたら日本にはほとんどチャンスはないだろう。

  29. 海外の反応

  30.  日本の地理っていうのは農業や鉱業には向いていないが、沿岸防衛やゲリラ戦には最適な地理なんだよ。
     もしモンゴルが上陸して拠点を確立したら、それからは団結した日本人に直面するだろう。








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コメント

出来てたぞ思うぞ
そもそも実は鎌倉本体が援軍に来る前に
どれも九州の武士達だけで方が付いてるし

2回目も13万〜15万なんて水軍としては
未曾有の規模動員してたのに橋頭堡の確保
すらできておらず補給もままならなくて消耗
仕切って上に台風という泣きっ面に蜂だからね?

抵抗が激しくて何か月も上陸できずに、海に漂っているところに神風が襲ったんだぞ。神風後も数万の元軍が鷹島に立て篭もったが、それも鎌倉武士に殲滅された。鷹島の戦いをもっと海外にアピールしなきゃいけないな。

鎌倉期以降の日本の武士って
やっぱり蛮族というか戦争強いわ
頭の中は戦争で頭いっぱいで

中華圏以外だと人口それなりに多いというね
北欧も戦争強かったが人口の少なさがネック

遠戦で全く撃ち負けてないからな
これのせいでまともに上陸も出来なかった

しかもてんてバラバラに武功競って家単位
でしか統率されてないのが返って波状攻撃
みたいになって敵が全く休めなかったらしい

思うも何もできたんだから今の日本があるんだ

なんで神話的作り話のほうを実際の歴史だと勘違いしてるんだ?このバカたちは
三国志とか事実だと思ってるクチか?

やっぱり外人だ
知ったかぶりの馬鹿

もしモンゴルが上陸して~
もしじゃなく上陸して足場を作って日本と戦ったけど追い出されて帰りに台風に遭ったんだよ
しかも天皇やその周りがモンゴルに降参したがったなんて大嘘
台風の季節まで日本はモンゴルをのらりくらり交わして台風シーズンになったら宣戦布告
ロシアが作戦に冬を取り入れるように日本は台風を取り入れた
でも西洋が脅威を感じたモンゴルを更に東の有色人種国家日本が戦って追い出したなんて認めたくないんだよね?
だから歴史系の板で日本人や歴史に詳しい外国人が何度も「モンゴルは台風じゃなく侍に負けた」って訂正されてるのにそれは無視し続けてる

平安から鎌倉は戦争だらけだったのを知らず、九州だけじゃなく本州からの連合部隊も駆けつけたのも知らず
よくもまあ知ったかぶってw

そもそも船ではモンゴル主力の騎兵部隊を十分な数輸送できない
馬がどうしても弱るし管理大変
ほとんどが南宋と高麗の部隊なのも言うほど元側は本気だったのか疑わしい

そもそもモンゴルは鎌倉からの本体が到着する前に九州の侍たちに大敗北して逃げただろ。
その帰りに神風に遭遇しただけだ。
ちゃんと資料読んでからエラそうに発言しろや。

外人は神風が何なのかわかってないな。

元寇は二回とも、鎌倉武士の圧勝に終わった。
博多炎上も嘘というか、実態がわかってない。
単に勘仲記によって、”伝聞”として記載があるだけだし。

日本じゃなく、敵側の一次資料にも、ことごとく敗れてく様が記載されているし、
実際戦前までの教科書では、実力勝ちと書いていた。

ではなぜ、神風という説が出たのか?
これは、皇室の権威付け。
戦時中、鎌倉にないがしろにされていた、時の亀山天皇による祈祷のおかげとする言い分を
採用することで挙国一致を図ろうとしたわけ。

ほとんどが南宋と高麗の部隊なのも言うほど元側は本気だったのか疑わしい

まだそんなこと言ってんの?
元軍というのはそもそも多民族国家な上に
元軍に対して高麗軍なんて5分の1以下じゃん
殆どが南宋人だーってのは捕虜の際に
南宋人以外は全員殺してたけどそっちの方が
ずっと多いという記述忘れてんの?

神風は日本の神国思想(戦前)と

天皇は渡来人だとかそこら辺の説と同じ
元寇の武士の活躍を最大まで過小評価
したかった流れがあった戦後の左翼教授の
見解の採用してた歴史学会のせいね

■宋人から見た弘安の役
鄭思肖 鉄函心史
六月なかば、元の7000隻の軍船が日本(の博多湾)を襲った。
だが、追い返されて七月半ばに平戸島へ接岸、土砦を作って武士の迫撃に備える。
7月30日、暴風雨が来る。
船は大波にやられて沈没、上陸していなかった兵は海に沈んでしまった。
残った船は400隻余り。
十二万人ほどは平戸島にいたので助かったが、逃げ帰る船は無く、進軍してきた日本の武士達によってことごとく殺された

■モンゴル人から見た弘安の役
元史日本伝
七日、日本人来り戦い、尽く死し、余のニ、三万は、そのために虜去せらる。
九日、八角島に至り、尽く蒙古・高麗・漢人を殺し、
新附軍は唐人たりといい、殺さずしてこれを奴とす。
・・・十万の衆、還るを得たる者三人のみ

現代語訳
『(台風が去った後)七日、日本人と交戦、ことごとくやられ、二、三万人は捕まってしまった。
九日、(元軍最後の砦である)八角島(平戸島)にまで日本軍が侵攻、
蒙古高麗漢人は全て殺され、唐人は日本と国交があったので助命された。
結局10万人を越えるわが軍の内、帰還できたのは三人(日本軍が送り返してやった奴らね)だけだった』

結論としては敗北した当事者達は台風に関係なく実力で負けたことを認識していた様子だね

すげー
外人って論拠要らないんだ
楽だなー

そもそも本気じゃ無かったら
2回目の壊滅を聞いてフビライは激怒しません

3回目が流れたのはベトナムで苦戦してたのと
日本側から特に仕掛けて来た訳じゃないし
日本攻める理由だった南宋残党も滅んで久しく
交易に切り替えちゃった方が得では?って意見
採用してあっさり日元貿易に切り替えてる

日本としても形式的にしろ朝貢貿易みたいな
形にもならず南宋貿易みたいに割とお得な
関係ではあった

高麗史金方慶伝
忽敦曰く
兵法に「小敵の堅は、大敵の檎なり
疲乏の兵を策して
日ごとに滋すの衆に敵するは
完計に非ざるなり
軍を回すに若かず
劉復享、流矢に中る
先に舟に登り、遂に兵を引いて還る。

二度目は騎馬を減らしてとにかく数で押しつぶす戦略とってんだよな
それが一番正しいと思うけど失敗してるしノーチャンスよ。

武士の武装がなんの変化もしてないし、ほんとザコだったんだろ。
もう少し火薬を役立ててくれたら何か変わったかもな。

奴らが味方についた時点で勝負は決していた

神風って敗走中の出来事でしょ。

メイドインコリアのお粗末な船も大活躍であの法則

外人は何も知らんからしょうがない。暴れまわってた奴等が台風の時期になんで船に居たと思う?wwwwwwww
武士に追い払われたからだぞwwwww

まず第一次と第二次の東路軍は上陸拠点すら築けずに海に追い払われてる時点で100%無理
江南軍ももし台風が来ず上陸しようとしても
日本側も九州以外の援軍が大挙して来るから結果は同じだろう
外人は台風以前の戦況を知らんやつが多すぎるな

自分らの先祖ボコったモンゴルを日本が実力でボコったことを認めたくないケチな心理が表れてるな

モンゴル如きに蹂躙された欧州乙w
当時の絵巻とか見てもあいつら上陸してるぞ、極少数しか無理だったっぽいけど
で夜、船の上急襲されて放火されたりしたんだよなw
ご先祖様さまだわ、関東からの援軍到着前に九州だけで完結してるし

神風って神話化するために後から作られたもんなんだけどねw
実際は沖の船を夜襲したりしてたそうだし

まずスレ主は時のモンゴル皇帝がフビライじゃなくチンギスだと思ってるし
日本軍が作った博多湾の20キロの防塁を誰1人として知らないし
上陸戦が実際にあった事を語った奴も一人だけしかいない
この話題に限った話じゃないが、この程度の無知でバカなガキ共に、思い込みだけで所詮日本なんてさあ…って馬鹿にされてるんだぜ

現代人って傲慢だよな
昔の人々を愚かで知恵に劣ると決めつけて当時の兵法や戦いそのものを軽んじる
紀元前の時点で人の知恵は現代人と大差ないくらいには完成されていただろうに

元寇のモンゴル軍は上陸できずに長期間船上に留まっていたから神風の被害に遭ったわけだからね。

白人「認めたくない…」
支那人「認めたくないアル…」
<ヽ`∀´>「我々が勝ったニダ」
負け犬とガイジ連合

元寇って島国を攻めた海戦だと思ってるのか?上陸された陸戦やしただ日本が強くて拠点を築けなかっただけ。右往左往して海上にいて台風が止めを刺しただけで台風が無くても元寇は戦略的に破綻してた。外人って基本的に上辺の歴史を軽くかじる程度で知識をひけらかす奴が多すぎ。

>三国志とか事実だと思ってるクチか?

三国志は一応歴史書なんだけどなぁ・・・・
三国志演義だとと思ってるクチかな?

どっちも帰りで台風にあってんのに台風次第な訳ねえだろ
ちゃんと詳しく調べてから口開けよ

そりゃ日本近海で3ヶ月もプカプカしていたら、季節問わず台風か嵐の一つ二つ来るって

モンゴルが全力をもって攻めれば日本攻略は可能だったろうけど
当時の日本にそうまでして得る価値は無かったろうなあ

まぁヨーロッパは散々モンゴルに押されてたからなー
むしろ、欧州が生き残ったことの方が不思議。

まぁ台風はほぼ必然だからな。冬に攻めるわけにもいかないし、春か夏から数ヶ月いたら台風来るやろ。すぐに大軍を上陸できなかった時点でモンゴルは侵略に失敗してるよな。2回も台風にあったのは偶然じゃないぞ。

モンゴルが版図を広げることができたのは、騎馬の力によるものなので、馬を連れてこられなったモンゴル軍に勝ち目はなかっただろう。

だから~
神風は勝敗が決した後のモンゴル敗走中の
出来事だッちゅーの

謙遜を美徳と考える日本人だからやぞ
「元は手も足も出せずに逃げる間際に台風に合いました泣きっ面にハチ、いとおかしw」
なんて物語にならんだろ

無知な外国人は戦国時代以前は
日本国内に戦争がなかったと思ってるんだな。
何百もの勢力に分かれて争ったのが戦国時代ってだけで、
いつの時代もいくつかの勢力に分かれていて
定期的に大きな内乱が勃発してたんだけどな。

大和時代は蝦夷、熊襲、坂東など
藤原氏の時代も関東、東北、中国地方、九州など
各地で地方豪族や対抗勢力との戦争は起きてたし、
その後も源平の時代、南北朝の時代と武士の時代が続く。

武士が登場する前だって兵力がなかったわけじゃなく
平安時代の公卿の坂上田村麻呂なんかは
各地の勢力を制圧するための武官の長でもあったわけだし。

日本が強くてモンゴルは陸地に陣を作れなかった。

鎌倉武士て戦国武士以上に凶暴なイメージなんだが
そもそも台風だってダメ押しの一撃だしな、いつまでも陸上拠点作れずに沈んだり逃げ帰ってる
最後は鎌倉武士による鷹島での大虐殺で終わったし(南宋の兵は助けた)

欧米人は純真だねぇ(笑)
十字軍が勝利したときに司祭や王が
「敵に神の神罰が下ったのだ!」って演説したら
何もしなくても神が勝手に倒してくれたとか
本気で信じて感動しちゃうのかねぇ

元寇だけじゃなく鎖国前に武士と戦った外国人の感想は文献で確認出来る限り民族関係なく一致している。
『アイツら頭おかしい』

何故か未だに神風とかいう日教組の間違った教えが広まってるが

モンゴルは弱かったから海上に留まるしかなかったんやぞ。日本の武将がただ単に強かっただけ。

神風以前の問題

元軍は大量の食糧を略奪で入手するほかない状況。そんなのがずっと上陸できないんだから干上がって終了だよ。

こいつら何を喋ってるんだろ
日本に上陸してから台風がくるまで2か月も間があって
その間はモンゴル連敗で勝ち目なんてどこにも無かったのは
英語Wikipedia見ても書いてるんだけどな

神風が吹かなくたって結果は同じだよ、 神風の代わりに仏風が吹くから

神風特攻隊は神風が吹かないなら自分が神風になろうって動機から生まれた。元寇でもそうするだろう。

分断して分断してっていうけど
その具体的な手法が書いてねえんだよなあ
橋頭保すら築けなかったんだからどうしようもないよ

しょーがねーよ
当の日本人が神風のおかげって習ってるんだから
直接相対してすらいない外国人にそうマウント取ってやるなよ

イギリスやフランスも日本の分断統治に失敗してるんだから、ムリだろう。

モンゴル軍は「こいつらにはなにをしても構わない蛮族だ」という意識をあたえてくれた。そうであれば義経流がいきてくる。

神風なしでってのがそもそもあり得ない
あんな九州の海の上に長いこと留まっていたら
遅かれ早かれ台風にやられるから必然なんだよ
速攻で本土に拠点を作れていたら分らんが
それが出来なかったからそうなった訳で

秀吉と同じで、10万~100万人を船で同時に降ろせるわけでは無いから無理。

モンゴルは大群で馬で乗りこめない地形だと進撃が止まる。例はまず山岳地帯が始まる東欧、インド北部国境の山岳地帯、北方の馬では適応できない熱帯のベトナム、そして海を越えねばならない日本だ。その法則は明らかなのでモンゴル騎馬隊では何をどうやっても無理。

九州人だけで追い返した時点で日本の勝ち。
関西・関東の援軍が移動中だったがそれを待つまでもなかった。
元・朝鮮軍は援軍はないから絶対に勝てない。

海からの上陸戦がまともに機能し始めたのは航空機の登場と海兵隊ができてからだぞ。
そんなに簡単に戦力投射できないし補給も続かない。
近代に至るまで軍事的選択としては悪手以外の何者でもない。

海洋ではモンゴル人は活躍できない、朝鮮に頼ったのが敗因。
【今の昔も関わっては国を亡ぼす】

無知なアホがドヤ顔で無意識の日本差別するいつもの

遠征で兵站が保てない以上、初戦で圧倒できなかった時点で勝敗もクソもない

ボコボコにされた後に台風にあって落ちたやん1回目なんて分かってて使者の首切ったんだし。蛮族日本とか笑えるけどマジそんなもんだし当時なら

文永と弘安はまったく形態が異なるから一緒くたにする時点で駄目。
文永はモンゴル軍の威力偵察や武力示威が目的だったと言われ、自主的に帰ったと思われる。

弘安は鎌倉側の完勝。台風がトドメかもしれないが、激しい抵抗で上陸できないうちに台風来ちゃって壊滅だから運任せ、神頼みではない。
モンゴル側の記録でも日本側が強すぎてずっと敗勢だったとある。

神風(台風)は最後の蹴りってだけ
日本側の善戦で上陸できず、食料も減っていった、数か月も滞在してれば、台風直撃はシーズン的に必須なのよね。 つまりは当然の結果
滞在理由は大将の到着が遅れていて転進(撤退)を指示できる人がいなかったとかなんとか。
 なお、捕虜については何宋人は送り返したけど、モンゴル軍、高麗軍は全員を殺した。

>皇室とその支持者はモンゴルに降参したがっていて、そこに将軍が介入したんだ。

そんな事実はないぞ
おそらく第四回使節の持ってきた二回目の国書に対して朝廷が返書つもりだったのを幕府が止めて返書されなかったことだろうけど、その返書の内容はモンゴルに阿るようなものじゃなく、逆にモンゴルの国書と戦争を起こそうとしていることについて(三回目の国書でクビライははっきりと使者を送らなければ日本に攻め込むと脅している)痛烈な批判を加えている

朝廷と幕府はモンゴルに従属しないという一点では同意しているし、当時の上皇は日本が侵略されるなら自分の命をとってくれと祈願までして、各地の神社に異国を打ち払う祈願もさせている。

>文永はモンゴル軍の威力偵察や武力示威が目的だったと言われ、自主的に帰ったと思われる。

そういう説もあるけど、かなり疑問な点もある
文永の役の結果、防塁建造などの次の戦争への備えが活発になってより攻めにくくなったから、仮に威力偵察や武力示威だったとすれば藪蛇だったことになる
また当時の元は南宋攻略中なので、次に日本に攻め込めるのがいつなのかのはっきりした見通しも立てられてないので、日本側に防衛準備する時間をどの程度与えてしまうかも不明ということになり、長引けば長引くほど元に不利になる
武力維持すれば日本が恐れて従うと思ったのかもしれないが、結果として日本はその程度で従わなかったから、そのつもりだったなら元の希望的観測が過ぎたということになる
仮にその説をとるなら、元失敗に失敗を重ねたのが文永の役だったことになる

また高麗史ではモンゴル人の総司令官と高麗人の将軍、また別の高麗人の将軍との間でもっと深く攻め込むかどうか意見が割れており、最初から威力偵察や武力示威を目的としてちょっと攻め込んだら帰るつもりで予定通りだったなら、事前に将軍たちにもそう伝えておくのでは

>>1回目なんて分かってて使者の首切ったんだし。

攻めてくるとわかってて使者の首斬ったのは二回目(弘安の役)の前な
一回目(文永の役)までの使者は切ってないけど、それでも元は攻めてきた
だから使者を切っても切らなくても元は攻めてくると思い、また文永の役直前の使者がかなり詳しく九州を偵察していた(九州から先へは行かせなかった)のを日本も把握していたので、今回も使者が偵察して情報を元に持って帰るのを警戒した

>宋がクビライの手に落ちたら日本にはほとんどチャンスはないだろう。

実際に弘安の役は南宋がクビライの手に落ちた後に行われてるけどそれでも日本が勝利してるんだけどね
そもそも日本と南宋は比較的穏健な貿易相手国ではあっても軍事同盟結んでたわけじゃないから、南宋がクビライの手に落ちたことで日本が不利になるのは南宋人の造船技術と兵が日本遠征に利用されることだが、それだって結局は限りがあるし、十万の大軍とそれを輸送できる船員と船を追加しても負けたのが弘安の役
しかもその後に三回目の日本遠征をしようとするクビライを、臣下は民が疲弊しているのでやめてくださいと止めているので、南宋を手に入れて大国になった元であっても負担になってる
不利にはなってもチャンスが殆どなくなるというほどじゃない

分断作戦が得意といっても、分断されそうになってた人も特にいないしな
皇室も当時の上皇は両統迭立、皇統は分裂しつつも交互に皇位を継いでいくという形だから、敵国に寝返ってまで協力を得る必要はない
後の南北朝時代とは違う

>仮に威力偵察や武力示威だったとすれば藪蛇だったことになる

基本的にモンゴル軍はまず威力偵察や武力示威して、降伏しなかったら皆殺しスタイル。
有名なバグダッドの戦いもこの典型で、事前に降伏した他の都市は無傷だったりする。
これは軍事合理性とかじゃなく、モンゴル軍のスタイルだから、別におかしな話でもない。

まあ今までそれで通ったとしても、事情の違う日本にそれまたやって失敗するのは、やっぱりモンゴルの失策だよね
しかも日本人が獰猛で殺人に慣れてるってのは、元寇前に日本に来た使者がクビライに報告してる
他にも日本の地形や海や風の不利についても
つまり事前に失敗の原因について知ってたのにそれでもやっちゃった結果という……

元寇の時に福岡神社に納められた「敵国降伏」の宸筆(天皇直筆)は亀山上皇が書いたもの
モンゴルに降参したがるどころか、敵国を降参させることを祈願してたのが当時の皇室

そもそも日本と南宋は比較的穏健な貿易相手国ではあっても軍事同盟結んでたわけじゃないから、
⤴︎ ⤴︎⤴︎
結ぶ直前くらいまではいってて
交易という形で支援してたよ

だからフビライに目を付けられた訳で

現代でも島国の攻略は難しいのに
あの時代に補給線もない物量作戦だろうが消耗して終わる
嵐は日本の勝ち戦を楽にしただけ

逆侵攻の末に高麗ぶん取ってたまである

蒙古の方が有利とかほざく前に、幕府や朝廷の本陣と戦ってからほざけと
奇襲で日本に攻め入り、それでも本丸の足下にすら辿り着けない蒙古が有利な訳ないだろ
持久戦になれば日本は無敵だ
蒙古には寝る間もなく四六時中ゲリラや火攻めに夜襲を喰らい続けるのだからな
ゲリラ戦に長けていなければひと月すら維持出来ないだろう

長い戦争の果てにも何も、長期戦争を弘安の役以上の戦力でするのは無理だろ

弘安の役の時に元帝国内で民の疲弊から反対意見が出てるし、その後にはベトナムと戦争になったから一度も元を侵したことのない日本は後回しになった
敵国が日本だけならともかく、他の国との戦争もあるのに疲弊して更に無理して多方面で戦い続けるってことになる

一時占領はできても維持は難しかろう。
ただ、一時的にでも占領されたら、その後の日本の
防衛ドクトリンはかなり違ったものになった気はする。

元寇の「神風伝説」って、海外にも伝わってるのか…。
実は、朝廷が武士の活躍を抹消するために作った、カバーストーリーってのが近年の定説なのに…。
長浜弘明で検索。

1274年に日本侵攻に成功していたか、って文永の役やんけ
たった3万、船員入れても4万に満たない兵力でどうやって日本を落とすんだ

台風がなくてもまず数の時点で劣ってる
高麗史でも撤退についての話し合いでは、元高麗側の兵の疲弊と日本側の兵の増員、矢が尽きたのをを理由にしてるから、日本を舐めていたのか知らないが文永の役の兵力では日本と戦い続けるには兵も物資の補給も不足してる
そのまま戦い続ければ、疲弊して矢がつきた状態で、増員した日本の武士に押されてジリ貧からの敗戦になってたのがオチ

といってそれ以上の兵力を日本まで輸送するのは1274年では難しい
文永の役の時の9百艘は高麗に作らせたもので水夫7千人と兵8千人も高麗から出させてるが(蒙漢軍は2万)、そのために高麗はかなり疲弊して、労働力不足にもなって食糧難に繋がってるから、この時点の高麗にそれ以上の船は作れなかっただろうし、船がなければ日本まで兵を送れない

弘安の役で14万もの兵を渡海をさせられたのは南宋征服はーによって南宋のそれが手に入ったからで、1274年の日本侵攻の時点にはそれもない

どうやって兵站を維持できるんだよw 京まで瀬戸内・山陽を侵攻していけば、農民・漁民にすらなぶり殺しにされるだけ。

大宰府すら落としてないんじゃ九州占領も無理だろ

京まで瀬戸内・山陽を進もうにも、元にはそのあたりの地の利がないしなあ
事前に使者が日本偵察してたといっても九州だけだし
京や鎌倉が具体的にが何処にあるのかも知ってたかどうか

補給路が海上輸送になる以上、軍が無事でも長期戦になって補給が台風にあって遭難するか出向できなければ本体は干上がる
現地調達できるほどの征服もしてない
台風に遭う危険があるのは本隊だけじゃないからな

記事中では無理という意見は劣勢に見えるんだけどこのタイトルでいいのか…まあ反論ぬるいからかな

上がりこまれたら分断されて云々←だから上がれない(かった)んだよ鎌倉武士なめんな
長い戦争の果て←長かったらどっかで台風に合うよ「嵐に遭わない」前提崩れるから却下

田舎侍にすら勝てなかったくせに
日本全土の武士を相手に勝てるわけないだろw

反論ぬるいってか初歩的なこと抜けてるよね

宋がクビライの手に落ちたら日本にはほとんどチャンスはない→落ちた後にも日本が勝ってる、とか
元寇が宋滅亡後にも二回目あったことも知らないんじゃ

神風なんて防いだ後に吹いた追い打ちでしかない
日本軍は上陸したモンゴル軍の掃討戦迄やってるってのwww
バカ外人はもう少し歴史を調べてから語れよ

橋頭保が出来ても、騎馬戦が、出来なくては、勝ち目は薄いのです。
夜襲を恐れて、夜は、船にいたのです。

ほんと鎌倉武士が強くて良かったわ
鮮人やモンゴルの残虐さを知ったら余計に

当時の日記によると晴天続きで強風も無さそうな天候だったらしいね。

元側の記録だと権力闘争で引き上げられた形跡もあるとか。

ただ、北九州の防御施設はかなり機能的な作りだったのは確実なんだよな。

基本的には土塁+空堀みたいね
(もっと後の時代、小田原城の資料、写真ならネットで見れる)
・斜面に幅3m、深さ3mぐらいの空堀、手前に土塁
空堀は草を生やさず、土を突き固めてるからツルツル
日本側は斜面の上側で土塁から弓、熱湯、大石などで攻撃

歴史的な文書見ればわかるように(既にコメントしてくれてる人感謝)
実際、元軍・高麗軍は上陸先で有効な陣地を築けなかった。
その為、船に引っ込むしかなく、さらに夜襲を度々受けて追い討ちを受けていた記録がある。

「神風説」は、天皇や宗教勢力が「祈祷の力はすごいんやぞ!」というプロモーションの結果だというのが現在の定説なんだよね。

>鎌倉幕府の日本は戦国時代のようなものではない。皇室とその支持者はモンゴルに降参したがっていて、そこに将軍が介入したんだ。

朝鮮人発見。そんな事実はない。